Kも大喜び。
2人ともこんなに小さかったのに、
今ではこんな風に仲良く遊ぶようになりました。あぁ成長したね〜。
男の子はこういう遊び方もあり。↑
NYに住んでいた頃は家族ぐるみで仲良くしていたこの家族、NYを離れても訪れてくれるのは大変嬉しい事であります。
ところで。このドイツ人達に是非お願いしたい事があったのです。それは、ドイツ語の翻訳!
Jさんの祖父は貿易業のビジネスをしていた人らしく↑、何カ国語も流暢に話し、NY,
ロンドン、ドイツ、南アフリカ、そして日本など点々としていたみたいで、私が言うのもなんですが、かなり優秀なビジネスマンだったようです。
そして数々の手紙やら写真が残っているのだけど、ドイツ語で書かれた手紙も数多く残されていて、ドイツ人のお友達にどんな事が書いてあるか訳してもらう事にしたのです!これが結構楽しくて。彼らが訳してくれた内容はだいたいJさんが受け継いで聞いていた内容と一致していましたが、中にはラブレターもあり、「えー?!」みたいな事も。
この手紙はJさんのお爺さんが神戸に住んでいた1938年に書かれた手紙。他にも日本で活躍していた様子がうかがえる手紙やら写真がたくさんあります。織物の輸入輸出を営んでいたようで帝国ホテルなどともビジネスをしていたようです。
この↑手紙は日本郵船からの手紙。NYに戻るために横浜から出発する平安丸という船に乗りたかったようですが、どうやら満席でチケットがとれませんでした、という内容。
なんだか不思議。アメリカ人のJさんと日本人の私はNYで出会ったのですが、彼の祖父はこんな大昔に日本に住んでいた事があって、しかも私の出身地、横浜にもいた事があって...。そんな祖父を持つJさんは、私と出会う前から当然日本にも大変詳しく知っていて...って全然そうではなかったのですが。(今では私より日本の歴史など詳しくなりましたが。)
このおかっぱのヘアースタイルに虫をとる網といい、「日本の象徴」といった感じでとても素敵な写真。この女の子達はJさんの祖父にとってどんな存在だったのかしら?そこら辺にいた近所の子供達?写真をとらせてって日本語で話しかけたのかしら?それとも英語で?そういう事を想像するだけでも楽しいです。そして後ろは船の上での日本人カップルの写真。という事は平安丸に乗れたのかしら?
こうやってドイツでの写真、NYでの写真、手紙、をドイツ人のお友達とアメリカ人のJさん、日本人の私で一緒に見るのは本当に面白い事でありました。
その他にJさんの祖父の会社の「社員名簿」も見つけたので、数々の日本人の名前、住所が記載されてあるそれを元にその人たちを探して(まだ生きていれば)彼がどんな人であったか聞かせてもらえればどんなに面白いかと思うけど(そんなTV番組が日本にもアメリカにもあったし。)とりあえず全てまた箱の中にしまっておきます。そしてまたうちの子が大きくなったら、この曾祖父のお話と、80年後にアメリカ人の父と日本人の母は出会ったのよ〜というお話を聞かせてあげようと思います。
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